藤野真央
全くの素人からインターネット通販業界に飛び込み、
現在は年商3億円を超える企業を経営。
事業内容はせどり(国内販売)、中国輸入、欧米輸出と多岐に渡り、ECの最前線で日々奮闘しています。
その傍らで、インターネット通販で結果を出すための本質部分のアドバイスやコンサルティングを行っております。
CONTENTS
略歴
1984年生まれ、福井県敦賀市出身。5人家族(妻、愛娘3人)
高校を卒業後、地元のゼネコン会社に入社。
プログラミング・経理・原価管理・購買など様々な部署を経験し
オールラウンダーな事務職員としてサラリーマン生活を全う。
絵に書いたような古い体質の社内で
『茶髪で誰よりも早く帰るけど仕事ができる奴』
という社内ブランディングに成功。
しかし、自分の働き方に疑問を抱くようになり12年目の30歳で退社。
その後、飲食業界に飛び込み店長候補として勤務するも、
飲食の辛さに耐えきれず次の道を模索し始める。
動画サイトで「せどり」という稼ぎ方があることを知り、
飲食でバイトしながらせどりを開始。その1年後、副業で月利100万円を達成し独立。
独立2年目で会社を設立。
せどりと中国輸入をメイン事業として組織運営。
法人3年目からは欧米輸出も取り入れ年商3億円を達成。
個人向けのコンサルティング、スクール運営を経験後、当ブログを運営開始。
コンセプト
『誰もが大志(大きなこころざし)を抱くことができる』
誰でも自分がやりたいこと、
叶えたい夢ややりたいことがあるけど、
現実を目の当たりにして諦めてしまっている。
でも本当にそれでいいのか。僕の答えはノーだ。
だったら正直に生きよう。
泥臭くてもいいんだ。
大きなこころざしを持って自分が生きたい人生を生きよう
独立までの苦悩と葛藤
不自由なんて特になかったサラリーマン時代
最初にお伝えしておきたいのは、
僕はサラリーマンが決して嫌だったわけではなかったということです。
高校を卒業して、地元では優良企業筆頭の会社に入社することができました。
しかも、今だから言えることで、面接では住所と父親の名前しか聞かれていませんw
僕は小学校から高校までずっと野球をしていて、
当時会社が野球部を強くしたいという方針だったので、
表向きは就職活動でしたが完全なコネ入社だったのです。
しかもその会社は業績が鰻登りで
1年目からボーナスが100万円以上という条件付きです。
その後、22歳で結婚して子供も授かりました。
大好きな野球をしながら、
普通に生活していくには十分な給料をもらえる会社。
不満がゼロと言えば嘘になりますが、
現状を考えれば特に不自由なことはありませんでした。
でも今思うと当時は、
家族や働く環境が良いことを理由に他の選択肢は無い、
今のままで十分だって言い聞かせていたと思います。
何かがおかしい
何不自由ないサラリーマン生活を送っていた僕ですが、
25歳あたりからなんだか自分の中でモヤモヤする感情が生まれてきました。
何かがおかしい…
毎日同じ時間に起きて、
同じ道を通って出社して、
自分に与えらた仕事を淡々とこなして同じ道を通って帰る。
そしてまた朝が来たらいつもの変わらない日常の繰り返し。
普通なんです。
めちゃくちゃ普通。
でも何かがおかしい。
それは僕の中でずっとぼんやりと存在していきます。
将来の自分姿をリアルに実感したら怖くなった
「自分の10年後、20年後を知りたかったら、会社の先輩を見なさい。
それがその会社で勤めた自分の姿です」
この言葉をどこかで聞いた僕は
会社の先輩や上司を見回してみました。
10歳上の先輩はとってもいい人でしたが、
「お金ないわー」「飲みに行きたいわー」
が口癖でお世辞にも憧れる存在ではありませんでした。
20歳上の上司はトップの顔色ばかり伺っていて、
本来やるべきこともトップがダメと言ったら
部下に理由もなしにそれを押し付けるような人でした。
ものすごく失礼な話ですが、
10年後その人のような先輩になりたいか。
20年後その上司のような人間になりたいか。
それだけは絶対嫌でした。
でもこのままこの組織にいたら自分も必ずこうなってしまう。
いくら嫌だと言っても、
いくら先輩や上司に食って掛かっても
なんの権力も持ってない自分は無力。
そして何よりも怖いと感じたのは、
こんな自分の背中を見て子供が育ってしまうということです。
親は自分がやってきた以上のことを子供に教えることはできません。
教えたところで説得力も結果も伴っていないことは子供には響かない。
結局のところ自分がやってきたことを伝える姿勢や、
生き様で見せてあげることぐらいしかできないのです。
何よりも大切な子供の人生。
やっぱり自由に生きてほしい。
たくさん挑戦して失敗して大きくなってほしい。
でもそう言う自分はどうなんだ。
自由でもなければ本当にやりたいことがあっても挑戦すらしようとしてないじゃないか。
自分の中でぼやっとした気持ちが痛みや恐れに変わった瞬間でした。
強制的に環境を変えてみた
とはいえ、
すぐに会社を辞める決断なんて当時の僕にはできるはずもありませんでした。
辞めなくても十分普通な人生は送れるだろうし、
何よりこんな安定した環境を捨てたとなれば周りに何を言われるかわからない。
人間「やらない理由」を探し出したらいくらでも出てくるもので、
もう30歳だし、家族がいるから、周りの目が…
など、やらない理由はいくらでも並べれるもんです。
この「やらない理由探しの旅」に終止符を打つには理屈ではなくて
決断する必要がありました。
そして僕は12年間勤めた会社を辞める決断をします。
もちろん独立する準備なんか全くしていませんでしたし、
正直次の仕事すら微妙にしか決まっていない中で退職しました。
今思うとほとんどノリと勢いで決断したし、
かなりリスキーだったなと。
何よりもそれを黙って許可してくれた奥さんに感謝しかありません。
そしてこの退職が僕の人生を大きく変えるキッカケになりました。
せどりとの出会い
会社を退社した僕は飲食業界にお世話になることになります。
実家が飲食店ということもあって
とりあえず食べて行かないといけないので、
昼と夜で2店舗を掛け持ちして社員として働き始めました。
毎日朝の7時から夜中の2時まで。
休憩は30分。
給料は20万円。
家族や周りに啖呵を切って退職した手前、
ごちゃごちゃ言わずにやるしかない。
最初は勢いだけでやっていけましたが、
やはり飲食業界はそんなに甘い業界ではありませんでした。
そんな時YouTubeである動画を目にします。
その動画は、
BOOKOFFで本を買ってきてそれをAmazonで売るだけで月収100万円以上を稼げる!
みたいな内容でした。
冷静に考えたら故障臭くてやばい。
でもなぜか僕は「これなら自分にもできるかも!」と思いました。
どうやらそのビジネスは「せどり」というもので、
インターネットさえあればどこにいても稼げるビジネスモデルなんだとか。
それからせどりに関するありとあらゆる情報やメルマガを読み漁りました。
そして後に師匠となる人のセミナーに人生初めて参加しました。
独学でやるよりも、
すでに成功している人に教わる方が良いというのは自分の中で決まっていたので、
そのセミナーでしっかりクロージングされスクールに参加しました。
スクール開校後は
とにかく寝ても覚めても頭にあるのはせどりのこと。
飲食店をバイトにしてもらい、
月120時間以上働きながら睡眠そっちのけでせどりに打ち込みました。
そして実践開始から4ヶ月で月商100万円を達成。
その年の年末商戦で月利100万円を達成し、
会社員時代、アルバイト時代の何倍もの収益を得られるようになりました。
目標だった独立、会社設立
その後、飲食のアルバイトも辞めて僕は念願だった独立を果たします。
そして色んなトラブルを乗り越えながら翌年には法人を設立。
せどりとは別に中国輸入も開始して、
当時輸入業界では大ブームだったメルカリを徹底的に攻めて
輸入だけでも月利200万円を超えるまでに成長。
年商も1億円を越え、
周りから見たら僕は成功者に映るようになりました。
もちろん収入面も大きく変化がありました。
ふと何が変わったのかと考えると、
数万円までのものを買うときに考えなくなった。
後は、家族でどこかに出かけたり、
外食する時も特にお金を気にすることなく楽しめるにようになりました。
僕は仕事をしていないと落ち着かない性格なので、
自由にどこかに飛び回ってみたいなことはあまりしませんが、
基本的に僕がいなくても物販は回って収益を生み続けるまで仕組み化できています。
はっきり言って、せどらーと呼ばれた時代に思い描いていた姿の
何倍も大きな成果を生みだすことに成功しています。
ビジネスも自分も次のステージへ
ここまで読んで頂いた方に今僕という人間はどう映っていますか?
一見順風満帆に見えるかもしれませんが、
実はそうでもありません。
物販事業の方は一つの壁にぶち当たっています。
よく「2〜3億までは現場でやればできる。それ以降はシステム化。5億以上は理念。」
と言われるように、
今のやり方、仕組みでは売上の頭打ちがやってきています。
この業界は非常に時代の流れが早く、
現状維持をしようとすればするほど衰退していきます。
現在は、会社の体制・仕組み・システムを
一から見直してより高い価値を提供するフェーズに移行中です。
そしてそれに伴って自分自身も次のステージに挑戦しています。
このブログもその一部です。
僕は誰かに伝えたり、アドバイスすることが得意であり好きな人間です。
リアルにお会いした方はわかると思いますが、
基本的に心を許した人には何も隠さず全て話してしまうという癖を持っていますw
しかしこの数年は、「伝える・発信」するという活動は全くやってきませんでした。
というよりも、伝えることなんてないって状態になっていました。
今僕がやっていることなんて誰でもできるし、
独立してこれまで経験したことなんて大したこと無いし
特に発信してもしょうがないと思っていました。
でもそれは発信することから逃げる、いわゆる「やらない理由」に他なりません。
発信したい、自分の経験や知識が誰かの一歩踏み出すキッカケになってほしい。
僕自身の次のステージは
「藤野に出会えてよかった!」
と思ってくれる人を発信を通じて
一人でも多くの方に言ってもらえることです。
ハッタリだっていい。大きなこころざしを。
夢を大事にしろよなんていつからか言えなくなっていた
これは僕が大好きな歌の一節なんですが、
色んなことを経験したり、年齢を重ねる度に
夢や願望というものからどんどん遠ざかっていってしまいがちです。
誰でも昔は夢やなりたい姿を一度は描いたことがあったはずなのに、
今ではなかたことかのように忘れ去っていませんか?
もちろん願えば叶うほど甘くないし
行動しなければ実現することはないでしょう。
でもせめて思うことはできる。
自分の思いに素直になってその思いを大切にすることはできる。
ハッタリだって全然構わない。
僕も駆け出しのせどらーの時は
大した結果も出ていないのに思いや言動だけはいっちょ前だった。
でもその姿に周りが惹かれて、
僕という人間に少なからず魅力を感じてもらえたからこそ今のご縁があると思っています。
綺麗事抜きで自分の歩みたい人生について考えてみてほしい。
自分が守るべき人、愛すべき人達の顔を思い浮かべてください。
そこに現状との違和感や納得できない所があるとしたら、
それは誰がなんと言おうと”NO”なんです。
誰のためでもない自分自身の一回きりの人生。
自分にしか生きられない人生を生きるために
全力になれるってシンプルにかっこいいし楽しいと僕は信じています。
そして僕の発信があなたの勇気ある一歩に繋がるとしたら
こんなに幸せなことはありません。